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読んだ本・観たもの・感じたことを表現するレッスン。
1日1回はなんか書く。
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ひとつひとつ、丁寧に、確実に

2009/04/18 16:24
私のまわりにはいつだって誰かそばにいてくれている。
こんな当たり前のことに気付くのに、とても時間がかかってしまった。
東京に戻ってきて、長く付き合った彼と別れた。
今も心は負傷気味だけれど、意外と立ち直りは早くわりと元気に生きている。
きっと何となく私のそばにいてくれた人たちのおかげだ。
わざとらしく助けてくれるのではなく、さりげなくなんとなくそばにいてくれた。

失恋の渦中にいて客観的に状況を受け止めきれないときは、そばにいてくれてもあまりその大切さに気付けない。
ありがたいなぁとは思うけれど、欲しいものはもっと遠くにあって身の回りのものがかすんで見える。
その絶大なる効果がじわじわと現れるのは、すこし時間がたって冷静に状況を見渡せるようになったとき。
あーそうか。あの時そばにいてくれたから、私は大丈夫だったんだとはっとする。

そうやって私はこれまで立ち直ってきたのかもしれない。
一時的な付き合いで終わってしまった人もいたけれど、
確かにその時、私が本当にしんどかった時、寄り添っていてくれたのは事実。

きっと私が本当にひとりぼっちになったことなんて、これまでなかったのだ。
神様が誰か必ずお助けマンを用意してくれていたのだ。
幼かった私は起こった出来事に翻弄されて、あたふたして、自分で自分の首をしめていた。
でも今回は違う。私は大丈夫だ。そう思える。
辛いことがあっても、いつか霧が晴れることを知っているし、私はひとりじゃないということも学んだから。

運命か何かわからないけれど、
人生の大きな流れに抗おうとして、作為的にどうにかできるんじゃないかと試みる自分がいる。
一方で、流れの中で自分のできることを最大限にやっていれば、どこかに辿りつけると思う自分もいる。
その時の自分のエネルギー量に応じて計画することも、実行可能だと思うことも違う。
どこがニュートラルな自分なのか、どこに照準をあわせて維持すればいいのかわからなくなる。

そうやっていろいろぐるぐる考えるけれど、結局物事はなるようにしかならない。
人生は日々の積み重ねでしかない。毎日、私の日常が積み重なっていくだけだ。

高校の恩師の言葉で、私のテーマになっている言葉がある。
「ひとつひとつ、丁寧に、確実に」
私はこれがすごく苦手。だからこそ、毎日この言葉を心の中で唱える。
未来のための今日ではなくて、どこか遠くにある理想ではなくて、今ここを生きる私がじゅうぶんに充実していること。
毎日の課題を、ひとつひとつ、丁寧に、確実に行うこと。
人に対しても同じだ。遠いところにいる人ではなくて、目の前にいる一緒の時間を共有している人のことをまず大切にする。その人のために何ができるか、何が返せるか、考える。
そんなふうにして、人は人とつながっているはずなのだ。




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私の欲望

2009/04/18 00:11
自分の人生にとって、私にとって本当に大切なものは何だろう。
東京にいると、私の欲望は実は私自身の素直な欲望でないと思うことが多々ある。
自分の欲望だと信じ込ませられているけれど、実際は周りの人の欲であったり、都会で生活する人間の欲で
あったり、家族の欲であったりする。
他人の欲望なのにそれが自分の欲望だと勘違いしているから、求めるものがコロコロ変わる。
そうこうしているうちに、本当に自分が求めているものが何なのかわからなくなる。
というよりそもそも求めているものなんてなかったのかもしれないと思ったりする。
大事にしたいものがわからない。自分がわからないのと同じだ。

お金があれば素敵な暮らしができる。
生活水準が上がれば、レベルの高い人と出会える。
かっこいい人と付き合えば、自分のステイタスが上がる。
いい大学に入って一流企業に就職すれば、社会的に評価される。
ごく自然な欲望だ。とても一般的な欲望だと思う。
こういう欲を持つことは全然悪いことじゃない。自分自身が素直に求めていることならば。

本当は私はどうしたいんだろう。何がしたいんだろう。
何を手に入れれば満足感を得られるのだろう。

私は誰の欲望も背負わなくていい。私は私の欲望を自分の責任で背負えばいいだけ。
それで離れてしまう人は、一緒にいる運命に無い人なのだ。きっと。

人は究極のところ、ひとりだ。家族も恋人も親友も、どんなに近い存在でも私の代わりにはなれない。
私は私を生きる。彼らは彼らの人生を生きる。
それぞれがそれぞれの人生の仕事を行う過程で、一緒に生きるタイミングがあれば寄り添えばいいだけの話。
誰も私を縛れないし、私だって誰のことも縛れないのだ。
ひとりで生きる。自分で自分の責任をとる。それができなければ、人と生きても依存になってしまう。

私は私の人生を積極的に歩んでいなかった。
自分の求めているものがわからないからだ。
嫌なことはたくさんある。そこから逃げることはできるけれど、じゃあどこに行けば幸せになれるは確信できない。
どこに行けば心地よく暮らせるか、何をすれば幸福度が増すのか、皆目見当がつかないのだ。
答えが出るまで、私はひとりで生きたほうがいい気がする。
誰の欲望でもない私の欲望を素直に感じたい。
私は私の欲望に正直に生きたい。
わがままなのだろうか。

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好きだ、

2009/04/16 00:03
「好き」という言葉は「愛してる」よりドキっとする。
恋が始まるとき伝える言葉だからだろうか。
心臓に直でささる感じがする。
だから、恥ずかしくて言えない。言ったためしがない。

「好きだ、」という映画。宮崎あおいちゃん主演。ドキドキする映画だった。
実際「好きだ、」というのは大人になった永作博美さん。
そのあと、相手役の西島英俊さんが「俺も好きだ。」と言うんだけど、そのセリフがすごくぐっときた。
受け止めるような「好きだ。」 読点ではなく句点。
ずっとずっと言えなかった言葉をはきだす瞬間。
ずっとずっと伝えられなかった思いをぶつける瞬間。
ゆっくりと流れる二人の空気の中に、凝縮された想いがはちきれる寸前の緊張感が漂う。
こんなふうな、せき止められていた想いがあふれ出す一歩手前の空気が好きだ。
この映画はそういう空気が伝わってくる映画だと思う。

「好きだ」じゃなくて「好きだ、」
「、」が入ると、そのあとの言葉を飲み込んだ感じがする。
もっと伝えたいことがあるんだけど、「好きだ」と言ってしまっただけでおなかいっぱいになって
胸がいっぱいになって、そのあとの言葉につまってしまう。
心の中に浮かぶいろんな想いの前で、迷子になってしまったような。
自分の心で受け止めきれないくらいの想い。
そういうことなのかなぁと解釈した。本当の意図はわからない。

「愛してる」は「好き」には勝てないのかもしれない。
あふれ出てしまった「好き」には勝てないのかな。
そう考えるとなんだかせつなくなる。
ピュアな気持ちで「好きだ、」と言ってしまったら、もう無敵なのかもしれない。

宮崎あおいちゃんと永作博美さん、瑛太さんと西島英俊さんが同じ役を演じている。
びっくりするくらいそれぞれが似ている。雰囲気も横顔も本当に似ている。ように見えるのか。
「人のセックスを笑うな」を見て、永作さんが大好きになったけれど、
今回の役も素敵だった。近くに寄れば寄るほどかわいい。

エンドロールを眺めていたら、吉田ゐさおさんの名前があった。
昔すきだったジャングルスマイルの吉田ゐさおさん。
俳優さんになっているのかな。
高校の時ジャンスマをよく聴いていた。ちゃんとした恋愛を初めてしたのが、高校生の時だったから
私にとってジャンスマは初恋の音楽だ。
好きになって相手に少しずつ近づいていく時、なんとなく浮かんでくる音楽。
また聴きたくなった。

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恋愛時代 

2009/04/08 04:05
「私の頭の中の消しゴム」という作品は私の好きな韓流映画のベスト3に入る。もう5回くらい観ている。毎回号泣する。
ソン・イェジンを知ったのはこの映画で、それから大好きな女優さんになった。もちろんチョン・ウソンも好き。
その彼女が出演しているドラマ「恋愛時代」。何気なく観た1話が大変面白く、よくよく見てみると野沢尚さんが原作を書いているとのこと。どおりで面白いわけだと思った。
ストーリーも台詞もコミカルさとせつなさが同居したとても素晴らしい作品だと思う。
離婚した一組のカップルのお話で、設定自体面白いけれど、そこに現れる複雑な感情がとてもよく表現されている。
それぞれ別のパートナーを見つけて前に進もうとしたいけど、互いに縁を断ち切れない。
もう二度とあんなやつとはごめんだと一方で感じながら、他方で相手の恋模様が気になって仕方がない。
出会えば憎まれ口ばかり叩いているけれど、実は相手が心配でついつい余計なことを口走ったりしてしまう。
なんだか2人の関係性がとてもかわいらしいのだ。
しかし、その裏にはお互いの溝を決定的に深めてしまったある出来事があり、そう簡単にヨリを戻せない繊細で複雑な心情が隠れている。憎しみと情とあきらめと期待と・・さまざまな感情が入り混じって奥深い。そして二人は(特にウノ(元妻)の方)それらの感情をうまく整理できずに悩んで、立ち尽くしてしまう。
いわゆる恋愛モノにある、劇的なシチュエーションや急展開といったインパクトがあるわけではないが、
淡々と、しかしながら緩急のあるストーリーで楽しませてくれるお話だ。
特に最終話。終わり方が物足りないと感じる人もいるかもしれないが、私はこのお話らしいふさわしい終わり方だと思えた。
愛とは恋愛のジェットコースターのようなドキドキを終えた後、じっくりゆるやかに作られていくものなのかもしれない。普段気づかないけれど、失って信じられないくらいの痛みを感じて初めて、確かにそこに存在していたということがわかる。そういうものなのかもしれない。
ウノが感じる痛み、苦しみが自分のことのように思えてとてもせつなくなる。
そして大切なものに気づいた時にはもう遅かったということ。誰しも経験したことがあるはず。
後悔しても無駄だけど、時間をかけなければ、そういう状況にならなければわからなかったこと。気づけなかったこと。
気づいたけどもう遅いなんて言わずに、もう一度試してみる価値はあると思える作品。
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Savile row

2009/04/03 22:14
オックスフォードサーカスとピカデリーサーカスを結ぶリージェントストリート。
そこから少し入ったところにリージェントストーリートと並行に走るサヴィルロウという小さな通りがある。
日本語の背広の語源とも言われている。ここは名門の仕立て屋が軒を連ねる、スーツ発祥の地。
私は「仕立てる」という言葉が好きだ。
丁寧、誠実、しっかり、落ち着き、分相応。
私が「仕立てる」という言葉から連想するのはこういうイメージだ。
そのままスーツのイメージにもつながる。お客の体型、好み、職業、イメージそういうものをすべて鑑みて一番ふさわしいスーツを作る。できあがったスーツは着る人をあらわす鏡になる。
あるいはこう見せたいという理想のあらわれでもある。
男性にとってスーツはある意味戦闘服だ。多くの女性にとってファッションやメイクが自分の女性としてのアイデンティティと切り離せないものであるように、男性にとっても仕事に着ていく服は自分の職業人として、あるいは男性としての評価につながるものだと思う。女の子がキマらない洋服の日やメイクがうまくいかなかった日、なんだか憂鬱な気分になるように、男の人もイマイチ自分に似合わないスーツを着て出勤する日は憂鬱なんじゃなかろうか。
面接に受かりたい、大きな契約を決めたい、彼女にプロポーズしたい。
男の人だって人生の一大事、大舞台では自分の中で一番かっこいいスーツを着るはずだ。

吉本の芸人さんの中には、売れるまで無理してでも少し自分のお給料からするとレベルの高い部屋に住むという風習があるらしい。そうすると次第に名が売れてその部屋が分相応のお部屋になるというジンクス。
他にもジュエリー(時計)や靴は自分より少しレベルの高いものを買うといいと言われたりする。
自分がそういう高級なものを身につけているというイメージが、自分を上のステージへ持ち上げてくれる効果があるのだろう。
サラリーマンのほとんどが毎日身につけるスーツ。心理的に影響しないはずはない。
少し質のいいものを着れば、自分にぴったりフィットしたものを着れば、自然と背筋も伸びる。
自分の中身を外側に合わせようとするから、周りの評価もかわってくるだろう。
それくらいスーツはサラリーマンの仕事に影響すると私は思っている。

私は女性だけど、こんなにスーツを熱く語るのは、スーツ姿の男の人が好きだからだ。
というかほとんどの女の人はスーツ姿の男の人が好きだと思う。
浴衣を着た女の子と一緒。スーツを着た男性は3割増にかっこいい。
もちろんくたっとしたしわしわのよれよれのじゃなくて、ぱりっとした清潔感のあるやつじゃなきゃだめ。
ホストが着るようなチャラチャラしたいやらしいものじゃなくて(着方の問題かもしれないけど)、
おじさんが着ているようなダボダボしたものじゃなくて、
若いサラリーマン一歩手前の男の子が「親父からもらった」って着てる明らかに合わないものじゃなくて、
もっときちんとその人のサイズの合った、質のいい、落ち着いたスーツがいい。

サヴィルロウは通りすべて仕立て屋さんだ。
その外観を一軒ずつ見ていくと、本当にそれぞれのカラーがあってディスプレイもお店の雰囲気も様々だ。
老舗の落ち着いた店構え、新しさをアピールするもの、個性的なデザインを売りにするもの。
でもどの店も生地が並び、奥や地下にはミシンや道具が置かれる作業場のようなところがあって、
それらを見るとなんだか心がほっとするというか、あたたかい気持ちになる。
ここで生地を選び、採寸をして、切ったり縫ったりして、時間をかけてその人だけの作品ができるのかと思うと感慨深くなる。

今日こんな日記を書いたのは、練馬の図書館に行く道で、仕立て屋さんを見つけたからだ。
小さなお店だが1930年代から続く老舗のようで、ピシっとしたスーツを着た初老の男性が、
お客さんのフィッティングをしている光景を見た。
東京で初めてみる仕立て屋さん。こんなに身近なところで出くわすなんて。
すごくしあわせな発見だった。
何気なく入った喫茶店の紅茶がすごくおいしかったとか、頂き物のお菓子がすごくおいしかったとか(食べ物のことしか考えていない気もするけど)そういう類のしあわせだ。心がほっこりするような。
入ってみたいけど、入る勇気がない、というか入る理由がない。。
何回か素通りしてしまった。怪しまれていないか不安だけど。

私はきっと職人にあこがれるのだ。人の黙々と何かに熱中してひとつのことを続ける姿が好きなのだ。
そして私もそうなりたいと思うのだけど、飽きっぽい性分の私には難しい。
テイラーとして一人前になるには最低でも10年修行をつむそうだ。
10年・・気の遠くなるような時間。テイラーとして生きる人生を選べば、それからもひたすらスーツを作り続ける日々。これは仕事を愛していなければなかなかできないことだ。
私が職人にあこがれるのは、愛を感じるからかもしれない。
ひたむきに何かを続けるということは、それを愛しているということだ。
愛して自分を捧げる覚悟ができているということだ。

飽きっぽい私が自分を捧げてもいいと思えるものに出会えるだろうか。
それとももう出会っているのか。覚悟ができていないだけなのか。
まだまだわからない。



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帰国して考えたこと

2009/04/02 20:47
3月16日、ロンドンから羽田への飛行機に乗る。
早朝のフライトだったため朝5時に宿泊先のフラットを出て、暗い夜道を大荷物で空港に向かった。
ロンドンでの生活を振り返る。資金不足やら何やらとにかく準備のツメが甘かったのを反省。

出発前はどんな滞在になるのか、全く予想がつかなかった。
というよりあまり予想をつけずに、心の赴くままに過ごしたかった。
半分逃避の旅だったから、お金が尽きるまで居れるところまでできるだけロンドンに滞在していたかった。
しかしはじめから預金口座の暗証番号がわからなくなり、あてにしていた口座にロックがかかってしまうというトラブル。最後まで日本からお金を送金してもらい、常に資金難の状態が続いた。
人に迷惑をかける→自分への不信感
24にもなるのにまったく自分が自立できていない。
最後までおんぶにだっこで私の旅は終わった。

やりたいこと、計画していたこと、思う存分楽しめなかったことがたくさんある。
しかし、ロンドンは意外とチープに楽しめる街だという発見もあった。
語学学校の費用の安さ、博物館・美術館はみんな無料だし、演劇も安価なチケットが手に入る。
そもそも日本から来た私には、街を歩いているだけで立派な観光になるのだから。

外にあまり出歩けなかった日はひたすら自分がこれからどうしていくべきかを考えた。
ひとりで自分と向き合って、私が何を求めているのか、どんな環境に身を置きたいのか、
そういうことばかり考えていた。
どんどん外野の声が小さくなって、何にも影響されず、私は私の欲望だけに向き合うことができた。
というよりも嫌なこと、やりたくないことがクリアになったと言う方が正しいかもしれない。

東京でお金にとらわれて暮らす生活が嫌
人に媚を売ってお金をもらうことが嫌
ファッションやメイクで自分を防備しないと怖い自分が嫌
消費生活の中に組み込まれている感じが嫌

いやなこと・やりたくないことが出たあと自然に出てきた気持ち

太陽が輝く海の近い場所で、おもいっきり気持よく過ごしたい
英語でもっとコミュニケーションをとりたい


そのあと出てきた気持ち

それはまた逃げるってことではないのか
日常が怖いから、非日常に逃げたいだけなのでは?
今まで育ててくれた親への責任はどうするのか
東京で働く相棒との価値観のズレ
責任もいっちょまえに果たせずに自分の欲ばっか言ってどうする

ロンドンから帰国して、実家に戻ると親孝行しなきゃなと思う。
東京に帰ってくると、お金を稼いでちゃんとステイタスを持たなきゃと思う。
友人や彼氏と会えば、私もっとしっかりしなきゃ、みんなに迷惑をかけないで生きなきゃと思う。

私はひとりになるとき以外、周りの人に自分の欲望まで影響をうけてしまう。
だからひとりになって自分の声にきちんと耳を傾けなければと思った。そしてロンドンに旅立った。
そして聞こえた声。でも東京に戻ればいろいろな責任と圧力が襲ってくる。

私の言っていることはたぶん甘い。おとなの世界ではとても甘い話だろう。
責任をきちんと取ってから、自分のしたいことをするのが大人の世界のルールだ。
私は責任を果たしている間にやりたかったことを見失ってしまう。弱いのだ。
どうしたら傷つかずに日常を過ごせるのだろう。
私の夢に少しずつ近づいていると感じられるような日々を過ごせるのだろう。
私はどんな仕事をすれば自分の心を守れるのか。
他人からの影響や攻撃から自分自身をどうやって守ればいいのか。

ルームオブキングという大宮エリーさんが書いたドラマがあって、
井川遥さん演じる産婦人科の先生が、人生に迷う主人公の女の子にこんなお説教をしていた。
「生きてくってことはね、自分で稼いで食ってくってことなの。何か履き違えてない?」

そうなんだよ。食ってくってことなんだ。
みんなそうやってたくましく暮らしているのだ。

自分のキャパがどうとか言い訳しないで、みんなそうやって暮らしているのだ。

私ができることを精一杯やって、我慢して我慢しても平均値にはなれない。
でもそれでも生活を守るために精一杯はたらくのだ。

そんなふうにしてまで守りたい生活って何なのか。

私にはわからない。わからないから怒られる。迷惑をかける。
自分の素直な声に耳を傾けて。自分を責めない。







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I Capuleti E I Montecchi@Royal Opera House 09/3/3

2009/03/07 18:48
ロンドンに来たばかりの頃、オペラを見ようなんて思いもしなかった。
当初私は観光名所を巡って、美術館を回って、ミュージカル観て、おいしい紅茶飲めればいっか。くらいに考えていた。滞在そのものが目的で、あとはいろいろと考える時間に使おうと思っていたのだ。
でもロンドンに少しずつ慣れていくと人は貪欲になるものなのか、英語をもっと上手く話したいとか、これもあれも観てみたいとかはじめよりも欲が出てくる。
意思の疎通ができれば十分と思っていた英語も、演劇を見たり映画を見てセリフがわからないのが残念だったり、生活の中でもつっこんだ話ができなかったり、そういうのが重なると「語学学校行きたいなぁ」と思い始める。
美術の知識が全くなく絵心もないので美術館行っておもしろいかなぁと思ってたけど、実際行ってみると圧倒されるし、知れば知るほど勉強すればするほど面白くなる。
まだまだ舞台も音楽も何もかも全然足りない。時間とお金が足りない!今切にそう思う。
こんなに芸術にどっぷりつかれるのは、やはり経済的な理由が大きい。一流の絵画・音楽・舞台が席などにこだわらなければ日本では考えられないくらい安価で楽しめる。
特に学生やユースに対してとても寛大。現在も様々な劇場でunder26キャンペーンみたいなのをやっていて、18歳から25歳までの若者に無料あるいは有料でも低価格のチケットが用意されている。
こういうのが好きな人はロンドンってとってもいい街なんじゃないかなぁ。

考えてもいなかったオペラを観ることになったきっかけは、同じフラットに住む日本人の女の子。彼女はバレリーナさんでこちらのカンパニーに所属していたこともある。ロイヤルオペラハウスでたくさんバレエを見ているというので、どんなものかふと興味がわいたのだ。バレエも観てみたかったけど、ロイヤルオペラハウスを見学しに行きたいというのもあった。
HPを見てみると現在SwanLake(あの白鳥の湖!私でも知ってる!)とオペラI Capuleti e i Montecchiが上演されていた。(他にもあるけど、目についたのがその2つ)
よくよく見てみるとオペラはロミオとジュリエットのお話のよう(詳しく調べるとシャイクスピアの話とは別物らしい)。ちょうどその日はSwanLakeが上演されておらず、後者のオペラを鑑賞することにした。
オペラが長いというのを知らなかった私は、スタンディング12ポンドを購入したのだが後で後悔する。オペラは少し高くても座ってみた方が絶対いいということを学んだ。
客層は様々だが、やはりきちんとおめかしをしてヒールをはき、イヤリングをしてドレスアップした上品なマダムがたくさんいた。中にはお着物を着た日本人のご婦人もいた。本当にレディース&ジェントルメンって感じ。これはミュージカルの劇場とは全然雰囲気が違う。

まずオーケストラの演奏が始まる。舞台の下に隠れるような形でオケの人たちが並び座っている。
指揮者が一段高い所から、オケも舞台も観客をきちんと見渡せるところで指揮をする。
はじめの演奏がおわると、いよいよ舞台の幕があがりたくさんの男性たちが歌を歌い始める。
当たり前のことかもしれないけどオペラはセリフがないということを初めて知る。セリフの中に歌が入るのかと思っていたけど、全てのセリフを歌う。主役の二人は声がよく続くなぁとあっけにとられてしまった。
そしてカプレッティとモンテッキ(ロメオとジュリエッタ)はイタリアのお話なので、すべてイタリア語。英語の字幕がそれぞれの席についているがみんなあんまり字幕を見ない。私は必死で舞台と字幕を見比べる。
いよいよロメオの登場。あれ?女性?きれいな高い声でロメオを演じている。とても美形な女性!
調べてみるとElina Garanca(エリーナ・ガランチャ)さんというオペラ歌手でウェブサイトを見ると、すごくセクシーで大人っぽい雰囲気の女性だ。
そしてジュリエッタ役のAnna Netrebko(アンナ・ネトレプコ)さんはロシアのオペラ歌手で「卓抜した実力のみならずその美貌によっても名高い、現代を代表するオペラ歌手の一人」(ウィキペディア抜粋)だそうである。
確かに美しい。そして包容力のあるやわらかい女性といった感じ。
きれいな人たちだと思ったけど遠くてあんまし顔がきれいに見えなかったから、後で調べて改めてすごい美女同士が歌ってたんだーと実感。
歌は鳥肌が立つ。あんなに澄んだきれいな声がどうやってだせるんだろうとほんとにぽーっとしてしまう。
ジュリエッタ役はこのアンナ・ネトプレコさんが演じているけれど、もう一人中村恵理さんという日本のオペラ歌手の方の名前も見つけた。日本人の活躍をこちらでみると、なんだかとても誇らしい気持ちになる。

このオペラの作曲者はヴィンチェンツォ・ベルリーニ (1801年11月3日-1835年9月23日)
オペラのショパンとも呼ばれた人だそう。きっとオペラの作曲家の中でも偉大な人。

調べれば調べるほどとてもレベルの高いオペラ初体験だったんだというのがわかる。

そして知らずにぽーっと見ていた自分が恥ずかしい。。
勉強が足りない。世の中にはしらないことがまだまだたくさんある。
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National Gallary&TATE Friday Night

2009/03/07 10:00
ナショナルギャラリーの夜営業が金曜日になり、先週の金曜はりきって出かけたものの、
停電(だったよう)でしめだされてしまったリベンジに、今日再度ナショナルギャラリーを訪問。
ナショナルギャラリーはこれでもう5回目くらいだと思う。
今日の目的は、ROOM18で行われるクラシックのコンサートを聴きに行くことと、美術史講座に参加することだった。
絵画に囲まれながら音楽が聴けるなんて最高だ。
今回はピアノコンチェルトが聴けた。Royal Academy Of Musicの学生さんだそうだ。
ピアノとバイオリン、コントラバスのトリオ。私はピアニストの手の動きを見たかったので、ピアノのすぐ後ろに腰かけた。
ピアノは本当に素敵だなぁと思う。小学生の頃ピアノを少し習っていたけれど、なかなか上達しなかった。
でもずっと憧れるのはピアノだ。クラシックでもジャズでも聴きに行きたいなぁと思うのはピアノの演奏なのだ。
あんなに細かい指の動きがどうしてできるのだろうと、ずっと眺めていた。しかも想像以上に鍵盤って重いのだ。
1時間の演奏会だったがあっという間だった。

その後セインズベリー棟のロビーへ移動し、美術史講座ツアーへ参加。
私を含め10名近くの人が集まっていた。リピーターの方もたくさんいて、人気の講座のよう。
今日は絵画のスタイルを学ぶ回で、ゴシックからルネッサンス、バロック、ロココ、新古典主義、印象派などを代表する絵画を鑑賞しながらそれぞれの時代と特徴を解説してもらった。
これがとても興味のわく講義で、いろいろと質問したりしながら和やかで楽しいツアーだった。
本である程度予習して見に行っていたものの、ひとりで観るのではカオスだったナショナルギャラリーも、
ジャンルや解釈など絵画の見方を教えてもらうと「ほぉー」と納得するものがある。
もっといろいろ解説してもらいたい絵画もたくさんあって、好奇心をそそられる講義だった。
講師の先生も優しい方で、わかりやすかった。

その後TATE BRITAINへ移動。チャーリングクロスからピムリコまで電車で乗り継ぐと時間がかかる。。
テートブリテンでも月のあたまの金曜日は夜営業をしている。ついたのは9時過ぎ
どんなものかと入ってみると、ちょっとしたクラブのようになっていた。
ROOM9でDJが音楽をならし、暗い部屋でカラフルな照明が光り、若者たちの声が聞こえる。
いつも静謐なみんななるべく静かにしている空間で、音楽が鳴って、お酒をのんだり踊ったりできる雰囲気は
非日常って感じで面白い。しかも絵画に囲まれているという非日常。ロンドンってこういう空間を生み出すのがうまいと思う。

奥の部屋に行くと、普通どおり静かに鑑賞している人たちもいた。私も彼らにまぎれて鑑賞する。
やっぱりここで見ておきたいのはミレイのオフィーリアとロセッティのプロセルピナ。
ロセッティの奥さんがこのオフィーリアのモデルでエリザベス・シダルという人。他にもこの時代の画家のモデルになっているそうで、かわいくてきれいだなぁと思う。
でもロセッティはこんなかわいい奥さんがいながら、プロセルピナのモデルになっているジェインという女性を好きになる。V&Aで観た白昼夢も彼女をモデルにした絵だし、花嫁という作品の左にいる女性もジェインじゃないのかなぁ。ロセッティの多くの絵のモデルはジェインのようだ。だけど彼女はウィリアム・モリスというデザイナーの奥さんで、しかもモリスはロセッティの友人。なんか昼ドラみたいな関係。
ジェインはエリザベス・シダルとは全く性質の違う美しさというか、私からするとかよわくて儚げな女性らしさを感じるのはエリザベスのほう。ジェインは古代ギリシャの彫刻のような美しさ、女性らしい丸みを帯びた感じは全然なくてどちらかというと芯の強い感じがする。女性の絵画にしてはとてもインパクトがある絵なので、絵の知識の全然なかった私もロセッティとジェインはすぐ覚えてしまった。
そしてもともと体の弱かったエリザベスは冷めきった夫婦関係に精神を壊し、薬をたくさん飲んで死んでしまう。
泥沼。。そしてロセッティがエリザベスの鎮魂のために書いたのがベアタ・ベアトリクス。
エリザベスの疲れきった、でも少しほっとしたような表情もうかがえるこの絵。ジェインが生命みなぎる原色の美しい絵ばかり残されているのに対し、エリザベスはオフィーリアだったりこの絵だったり、「死」がテーマの絵ばかりでなんだかかわいそうな気もする。
エリザベスの元気ー!!あたし超元気ー!!って感じの絵があったら見てみたい。
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SHINE

2009/03/05 17:23
イギリスのテレビ局は週末になると(平日の夜中もそうだが)映画をどのチャンネルも放送している気がする。
ある新しいテレビ局なんかは、数えてみたら週末の7時ごろから夜中まで立て続けに映画を4、5本放送していた。
やる気あるのかな。。とちょっと疑問だが、こちらに来て好きな映画や見てみたかった映画が結構見れたのでうれしい。飛行機の中でも何本か観たし、1か月の間にレンタルしたわけでもなく、たくさん映画が見れるのはお得な気分だ。
そして素晴らしい映画に出会った。シャインというオーストラリアの映画。
つい先日夜中にテレビをつけたらやっていた。途中から見たのだけれど、すぐに涙が止まらなくなった。
調べてみると、ある映画のレビューにはほとんどの人が5つ星をつけているし、絶賛する感想が並んでいる。
主人公を演じたジェフリー・ラッシュという俳優さんはこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞しているそうだ。
観れば納得する。映画も演技も素晴らしい。

私はこの映画を見て、ひたむきであることの悲しさ、美しさを感じた。そこに涙したんだと思う。
ひたむきな人に私は弱い。ここに書いているだけでも涙があふれてくる。
実在するピアニストの半生を綴った映画で、父親との確執から精神病を患いながらも、
最終的にピアノによって救われ、素敵な伴侶や周囲の人々の理解と暖かいまなざしを得て再生していく物語。
主人公のディヴィッドはひたすらピアノをひく。ただひたすら無我夢中でピアノに向かう。
その姿に私はやられてしまった。
なりふり構わず没頭する姿が、とても美しく愛らしい。
彼にとってはピアノが彼の世界のすべてなのだ。
ひとつしかない世界にまっすぐ向き合って、他を見ない。他の世界があるなんて思いもしない。
その濃密なピュアな主人公とピアノの関係に憧れてしまう。

ひたむきという言葉は愛という言葉と同義なのではないかと思う。
犠牲という言葉にも通じるかもしれない。
ピアノを愛している。父親のことも愛している。彼はピアノに身を捧げ、父親の犠牲になる。
ひたむきに生きるがゆえの悲しみ。何も悪くないのだ。ただひたむきに生きただけなのに。

好きなもの、大切なものに対して、曇りのない一途なまっすぐな感情を向けること。
裏切られることも傷つけられることも恐れない。自分の名声やエゴなんて2の次だと思えるような
そういうものに出会える幸せ。
そしてそれをつかんだ人は傍から見ていてとても美しい。

帰国したら字幕版でもう一度見たい。これから何度も繰り返しみる映画だと思う。
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Spring Awakening@Lyric Hammersmith

2009/03/05 09:02
Spring Awakening(春のめざめ)。
劇団四季でも今年5月から上演するミュージカル「春のめざめ」を観劇した。
場所はハマースミスのLyricTheatre。昨日のWyndhamTheatreとは全く違った雰囲気。
新しい劇場でチケットボックスの横の階段を上がると、おしゃれなカフェバーがあったりする。
舞台は色鮮やかな電飾と、さまざまなモチーフの飾られた壁、後ろにはバックバンドが控え
舞台上の左右に観客席が配置されている。ところどころに空席があるのは、役者さんやコーラスの人たちの
席だ。ここから役者さんが飛び出してきたり、マイクを持ったコーラスの人たちが歌い始めたりする。

今日も「一番安い席をください!」と伝え、最上階最後尾にて鑑賞。
客層は昨日同様若い人たちが多かった。特に女の子連れ。
私の前の席に座っていた女の子たちが、ちょっと下品な笑い方(そこ笑うとこ?ってところで笑ったり)をするのが
とても気になった。思春期の性というナイーブなテーマを扱っており、結構きわどい演出もあったりするので、からかって観る人もいるのかも。

まず、一番印象深かったのは音楽のかっこよさだ。
そしてコーラスの美しさ。少年少女たちのハーモニーがとても美しくてかっこいい。
これサントラとかすごく売れてるんじゃないかなぁと思うくらい音楽がよかった。
そして舞台上の色とりどりの電飾。ブルーの電球が上から降りてきて、一面が青の光で包まれる場面は本当にきれい。
音楽と舞台の美しさ、それだけでも十分楽しめるミュージカルだと思う。
もちろんこのミュージカルはそれだけじゃなくて、
そこに性や欲望、自意識、大人たちへの反抗、葛藤など思春期の若者の複雑な感情が表現される。
先ほども書いたが、演出は本当にきわどい、というか露骨かもしれない。
舞台中央のゆらゆら揺れる台(ステージの中央がくりぬかれて、四隅が天井に吊るされ上昇する)の上で、
主人公の男女が初体験をするシーン。勇気あるなぁと役者魂を感じるくらいだった。
100年完全な形で上演が許されなかったそうだが、なるほどとちょっと納得してしまった。
他にもこの物語に含まれるテーマは友人の自殺や女の子の妊娠、同性愛など結構重い。
だからこそ、そういうきわどいシーンでくすくすとからかうように笑ってほしくない。
照れ隠しもあるんだと思うけど。

思春期って、今考えると本当に感情の振幅が激しい時期だ。
私は高校時代寮生活をしていて、高校の教育方針もありとても閉鎖的な環境(しかも田舎)だったため
この舞台で描かれる若者たちの心境がなんとなく分かった。
今思えば全然たいしたことじゃないことも、自殺しようかとまで思いつめたり、受験に失敗したらこの世の終わりだくらい思ってたし、女の子なら恋愛やセックスに対する憧れや恐怖感を抱いたりする。
でも都会の高校生たちは全体的に私たちよりももっと早くからいろんなことに解放されていて、特に性に対して割とさめていた。もちろん田舎にも早熟な女の子たちはいる。だけど、相対的に都会のほうがそういう子たちが多い気がする。
私立の中高一貫校に行けば、大学までの道のりはすでに決まっているから、受験勉強しないかわりに合コンしたり
おしゃれしたり、渋谷に行ったりできる。おしゃれできる環境は充分にあるから、性の対象として見られる時期も早い。そして女の子の繊細な感情に関係なく、性の対象として視線を投げかける大人が存在する。

最近イギリスで13歳の少年が父親になったというニュースが話題になっていた。しかも父親が彼ではない可能性があるという。そして若くして親になるという話はイギリスではそう珍しくないようだ。
この点日本では14歳の母というドラマが話題になったくらいなので、まだ「セックスをしていい時期」のアンダーラインが社会通念上イギリスよりは高めかもしれない。
ただ話題になったのは大人の(親たちの世代の)間であって、イギリスのニュースだって騒いでるのはマスコミ(=大人)な訳で、当事者の若者たちの感覚は東京もロンドンも世界の大都市でも実は変わらないのかもしれない。

みんながそうな訳じゃないだろうけど、この国の思春期の女の子たちもこのミュージカルを見て割と冷めてるんじゃなかろうか。
「はははーうけるー」って軽く笑って、終わり。なのかもしれない。男の子はいつの時代も性に目覚める時期はあまり変わらないと思うから、この舞台を見たときちょっと恥ずかしい気持ちになるんだろうけど。
女の子の受け入れ態勢がどんどん早まって、性に対して冷静な女の子たちが多いのでは?と思うと、このミュージカルを観る思春期の女の子の視点がとても気になる。
そしてこの話の「内容」に特に感情移入しない若者たちが増えているからこそ、堂々と上演が可能なのかもしれないという皮肉。

でももし実はくすくす笑ってる女の子たちが、笑うことで自分のナイーブな心を隠しているのだとしたら、
「真面目に観ろ、ミュージカルとして作品としてちゃんと観ろ」と思ってしまう私も、
作品を鑑賞するという大義名分でもって物語の本質に直通する自分の気持ちを隠そうとしているのかもと思ったり。
まだ私思春期なんじゃん?と苦笑しつつ、でも大人だって思春期の恥ずかしい思い出にはふたをしておきたいはずで、結局みーんなちょっと照れるミュージカルなんだ、と強引に結論付けでおきます。







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Twelfth Night@Wyndham Theater 09/3/3

2009/03/04 13:57
イギリスに来てシェイクスピアを見ないというのは
日本に来て富士山を見ないのと同じこと(自説)だと思い、昨日と今日続けてシャイクスピア作品を鑑賞した。
昨日はRoyal Opera Houseでロミオとジュリエットのオペラ。今日は十二夜(twelfth night)の舞台。
オペラについては別で書くことにして、今日観た十二夜の感想から。
場所はレスタースクエアの駅を出てすぐの劇場Wyndham Theater。
エントランスはとてもこじんまりとしていてなんだかかわいらしいなぁと思っていたけれど、意外とたくさん収容できる劇場のようだ。
Royal Opera Houseもそうだけどロンドンの劇場はとても味がある。
木造の床がみしみし言うし、東京の映画館のようにふかふかの座席というわけでもない。
だけどそれが風情があっていいというか、歴史を刻んだ感じがする。舞台より1段、2段上がった左右に小さなバルコニーのようなボックス席がそれぞれしつらえてあり、老夫婦が双眼鏡をのぞきながら仲良く鑑賞していたりする。
映画や絵で見たような古き良きヨーロッパのイメージを壊さないのだ。
私は一番上まで階段で上がって、バルコニーの立ち見席で鑑賞した。
今週いっぱいで公演が終了するとのことで、もちろんチケットはとっくに売り切れだったと思うが、当日券ならあるだろうと駆け込んでみた。
立ち見席しかないと言われたけれど、£10で見れるなら安いと思って購入した。
ほんとうに一番上の階の一番後ろだったので、舞台からは最も離れた場所にいたのだが、俳優さんの迫力は充分に伝わった。

主人公のヴァイオラが男装し、仕えた公爵にひそかに恋をする。公爵オーシーノは伯爵令嬢のオリヴィアに恋をしているが相手にされない。オーシーノの代わりにヴァイオラはオリヴィアへ想いを伝えるが、オリヴィアは男装したヴァイオラに恋してしまう。矢印がそれぞれ別の方向を向いていて恋が実らない。片思いの連鎖は切ない。
ひそかにオリヴィアに恋をしている執事のマルヴォーリオを嘘の手紙でだまして、両思いだと期待させてしまうくだりはみんなお腹をかかえて笑っていた。真面目で堅物な人物像とオリヴィアからの手紙を読んでいる場面の浮足立った様子とのコントラストが素晴らしく面白かった。マルヴォーリオ役を演じていたデレク・ジャコビさんという俳優さんは
シェイクスピア劇に多数出演している著名な俳優さんのようで、やはりこの方のひとり芝居(オリヴィアからのにせの手紙を読んでひとりで大喜びする場面)の後はどっと笑いと拍手がわきあがった。
しかし、結局その手紙が嘘であることがわかり、落胆した気持ちをオリヴィアに伝えるシーンもぐっと惹きこまれた。
そして場面場面でギターを奏でながら、舞台で進行するストーリーと観客をつなぐ語り部のような役割の道化師フェステ。時には陽気な音楽を奏で、時には切ない響きで物語に雰囲気を与える。

大きな一つの物語の中にいくつもの劇的な設定と場面が含まれていて飽きさせないお話だ。

楽しめたけれど、やはり原作を読んで台詞を理解しないことには、シャイクスピアを味わったとは言えないなぁと思う。
ストーリーももちろんだけれど、台詞で感動させたり笑わせたり納得させたりするのが、脚本家の仕事だ。
俳優さんや演出家の仕事は堪能できた。次はシェイクスピアの仕事を味わえるように私自身勉強が必要。

この舞台は今週末で終了するが、3/24〜28バービカンシアターで蜷川幸雄さん演出による歌舞伎版十二夜が公演される。
このお話が蜷川さんの演出でどう描かれるのか見てみたいし、しかも歌舞伎でなんて想像もつかない。ぜひ観劇したい。






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ミッションのリスト

2009/02/27 12:30
帰国日までに達成したいことリスト

@ミュージカルをあと1本観る
 (ビリーエリオット/マンマ・ミーア/キャバレー/スリラー)
AJAZZを聴きに行く
B美味しいフィッシュ&チップスを食べる
C3段トレーの伝統的なアフタヌーンティーを食べる
Dイングリッシュ・ブレックファストを食べる
Eガストロパブに行く
F舞台を観る
Gクラシックのコンサートに行く
Hオペラ/バレエを鑑賞する
Iハムステッド・ヒースに行く(フェントンハウス・ケンウッドハウス)
Jバースに行く
Kオックスフォードに行く
Lテムズ川クルーズ(tateboat/Greenwich-Londonbridge)
M美術館・博物館の夜営業に行く
Nカムデンパッセージへ行く
Oサンデーアップマーケットへ行く
Pカナリーワーフへ行く


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2/26行動記録

2009/02/27 11:53
お昼すぎに起床。最近夜更かし続き。
東京から待ちに待った郵便小切手届く。郵便局まで換金に出かけ£500ゲット。
いったん部屋に戻り、今日の計画を立てる。
お肌に優しいせっけんを買う(←スーパーで買った安い石鹸で顔を洗ったら肌が荒れた)
今日のミッションこれだけ。

せっけんを買いに行くためだけに、1dayトラベルカードzone1-4£6.30を購入。なんて贅沢な使い方。
目的よりも手段にコストがかかっている。なんだか複雑。
これまでzone1-3の1weekトラベルカードを窓口で購入していたので、切符の買い方がわからず焦る。
オイスターを持っているからtopupすればいいんだろうけど、そのやりかたがわからない。
画面で日本語を選択するけど、その日本語の意味もいまいちわからない。
どぎまぎしていると、後ろに人が並ぶ。あせって何回か譲り、もういい!と紙のトラベルカードを買う。
後でオイスターカードの説明書みたいなのを読みながら、なんか私ぜったい損してる。。と確信。
忘れることにする。

ピカデリーラインに乗ってコヴェントガーデンで降りる。
せっけんといえばLUSH。まずはLUSHのお店。
インターネットで見たメイクも落とせる洗顔せっけんを探す。
店員さんが、実演してくれるんだけど、どうやらこれは泡立てて使うせっけんではないみたい。
顔にそのまま塗ってふき取るタイプ?(と理解した)
できればフェイスもボディーもOKな万能せっけんがいいので(貧乏性)LUSHはあきらめる。

で、次は隣のロクシタン。
ロクシタンの店員さんの愛想がいいのは世界共通なのか。
日本ほどかっちり接客!という感じではないけれど、他の店に比べて感じがいい。
ロンドンのお店の人はたいがいぶすっとしている。特にスーパー。
あと携帯買った時の店員さんは最悪だった。英語をゆっくりしゃべってくんない。意地悪だ。
でもロクシタンのお姉さんは優しいので、こちらから聞いてみる。
「このせっけんは顔に使えますか?」
だめらしい。女性にはお勧めしないわ。フェイスならこっちよ、とちょっと大きめのせっけんを持ってきてくれる。
半分くらいのサイズはないか聞くけど、ワンサイズだって。
しょうがないのでこれにする。
£5.85 せっけんにこの値段はちょっと私の金銭感覚ではお高いなと感じるけど、顔にも体にも使えて
結構サイズもおっきいので許す。£10.85を渡す。最近硬貨を間違えずに出せるようになってきた。
ロンドンに到着した日に管理人さんに硬貨の種類を教えてもらったが、全然頭に入らず、
しばらく何買うにもお札しか出してなかった。たまる一方の硬貨。
これじゃいかん、実践あるのみとまず1ポンドと20ペンスを覚えた。1ポンドはほんとに1ポンドの重さらしい。
重いのが1ポンド。わかりやすい。
20ペンスは公衆トイレの値段。トイレで使う。大事だから覚える。
あとは毎日お金を数えていたら覚えた。でもスーパーで変な顔をされて突き返されることしばしば。
人は失敗を重ねて成長するものだ。
きょうはばっちしきれいに£5のおつりになるように出せた。誇らしげな私。
センキューと店を後にする。

ミッションがあっさり完了してしまったので、どうしようと歩きながら悩む。
おなかがすいたので、何か食べたいけど勇気がなくてお店に入れない。
なんか聞き取れないこと言われたらどうしよう。。小心者の私。
今のところ、ひとりで入れたお店は、
@スタバAマックBPRET A MANGERというチェーン店のカフェCthe maffin manハイストリートケンジントンのカフェの4つだけ。
毎晩パブだ!(ビール全然飲めないけど)とか思ってたけど、ほんとに全然いける雰囲気じゃない。
しかもひとりなんて絶対場違いだ。でも行きたい。毎日夕方になると葛藤の連続である。
とりあえず歩きながら、入れそうなお店を探す。
そうこうしてるうちに迷う。
いつのまにかコヴェントガーデン→トッテナムコートロード→オックスフォードサーカスまで歩く。
空腹が限界に達する。
電車の乗り換えが嫌なので、リージェントストリートを歩いて、ピカデリーサーカスまでさらに歩く。
リージェントストリートはなんだか雰囲気が好き。人が混んでるのはいやだけど。
夜のピカデリーサーカスは新宿みたい。新宿のエプソンの看板みたいなのが光ってる。
ジャパンセンターで食糧を物色。アボガドのロールはおいしい。しかもそんなに高くない。
おいなりさんはお米がおもちみたいに固まってたけど、味はおいなりさんの味だった。
ふと考える
「今日の収穫は何?せっけん買っただけでいいのか?しかもジャパンセンターで日本食買って、
ロンドンに来て何してるんだって後悔しない?」
ジャパンセンターに後ろ髪をひかれながら、決意を新たに駅に向かう。
今日こそは店にパブに入ってやる!!
私にはハマースミスという味方がいる。
東京でいえば私が住んでいた成増のような場所。
郊外だけどちょっと都会。埼玉寄りだけどぎり東京ですよみたいなところ。
おしゃれなzone1のエリアでは出ない勇気もハマースミスなら出るかもしれない。
関係ないけど、ヒューグラントはハマースミス出身らしい。さらに愛着が持てる。
ハマースミスまでロンドナーっぽく夕刊読んで到着。
がんばって歩き回るけど、いっこうに勇気がでない。めぼしいところも見つからない。
pret a manger を見つけもういいやと思って入ろうとするがもう閉まってる。。
空腹は最高潮に。
マックでクオーターパウンダーのセットを注文。£4くらい
ジャパンセンターのほうがまだましじゃん、と
つっこまないことにする。そういう勇気も必要。

さらにエキナカ(といわないと思うけど)でアクセサリー屋さんに立ち寄る。£4の髪留めを購入。
こういう小さな散財が後々大きな財政危機につながることを知っている。
が、そういうことを無視する勇気も必要と思い込む。

満腹で帰宅。

新しく入った男性にごあいさつ。2日だけの宿泊とのこと。会社を辞めて1年間語学留学にきているらしい。
私も絶対来てやる!と改めて決意。

ロクシタンのせっけんでお風呂にはいる。いい香り。これは買って正解かも。

今日の記録おしまい。
今日の支出 1day トラベラーカード £6.30
        ロクシタンせっけん  £5.85
        マック  £4.00くらい
        アクセサリー  £4.00
    合計  £20.15
    残高  £480    
なんかたいしたもの買ってないのに20ポンドも使ってる。恐ろしや。 
       


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NY

2009/02/27 10:30
NYに観光で1週間ほど滞在したとき、宿泊費を浮かせるためにユースホステルのような
日本人専用のドミトリーに泊まった。
4泊しただけの短い期間だったけれど、そこで出会った人たちはとても魅力的だった。
東京で仕事に疲れ、長期休暇を取ってNYに来たSEさん。
ドキュメンタリー映画を製作中の俳優さん。
ミュージシャンの卵の男の子。
NYで美容師をしている女性。
社交ダンスにめざめ、ダンスレッスンに来たお母さん。
アメリカ人男性と婚約中の女性。
みんなのお世話役の人懐っこい管理人さん。
さまざまな素性の人たちが偶然のタイミングで同じ部屋に集った。
情報交換したり、いろんな話をして本当にあっという間に時間が過ぎる。
一緒にごはんを食べに行ったり、ジャズを聴きに行ったり、夜景を見たり、
あっという間だったからこそ強烈な印象として焼き付いているのかもしれないが、
修学旅行のようで毎晩楽しかった。

その時私は、東京での人間関係に嫌気がさしてひとりになりたかったのと、
ぐだぐだしてる自分に何か刺激がほしくて、ほとんど突発的にNY旅行を敢行していた。
泊まるところもぎりぎりまで決まらず、やっと受け入れてくれた宿がそこだった。
ドミトリーだと言われ正直ちょっと面倒だなと思ったが、
長期滞在ではないしなるべく関わらないようにしようと決めていた。

だけど、だ。最終的には周りの人に助けてもらってばかりだった。
前述したように私はほとんど計画を立てずにNYに行ったから、
NYの観光名所もろくに理解していなかったし、行きたいところも正直特になかった。
本場ブロードウェイのミュージカルとジャズが聴ければそれだけでよくて、
他は街の雰囲気を味わってひとりでふらふらできればよかった。
ほとんど逃避しに行ったようなものだったからだ。
しかし、
一緒に私の予定を考えてくれたり、
雨の日傘を忘れた私を、駅まで送ってくれたり
英語をきちんと話せない私の代わりに、バスの予約を取ってくれたり、
エリッククラプトンのTears In Heavenを弾き語りしてくれたり、
出発の日の朝、早起きして見送ってくれたり、
ほんとにみんな涙が出るくらい優しかった。

自分の居心地のいい場所というのはなかなか見つからないけれど、
まさかこんなところで、出会えるなんて思わなかった。

私は居心地のいい場所というのはたしかにあるんだという確証を持てた。
それはとても大きな収穫だったように思う。
なんだか自分が環境になじんでいないような、溶け込めていないような、
溶け込んでいたとしても少しみんなとずれてるんじゃないかとか、
社会は私にとって、そういう不安と緊張を常に要求する戦場のようなものだ。

そういう日々の中で、ふと、自分がリラックスしている瞬間に気づいた時、
あまり気負っていない自分を意識した時、
おおげさだけど「生きててよかったなぁ」と思う。
そして、この感覚を忘れないで、生きていればこういう感覚が味わえるんだということ忘れないで
次の機会を信じていれば、生きていけるなぁと思ったりする。

東京での同窓会に参加できなかったので、
帰国したら、みんなにこっそり会いに行きたいな。







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shun-kin@barbican

2009/02/26 10:24
谷崎潤一郎の「春琴抄」という作品がある。
高校生の頃朝の読書タイムというのがあって、その時読んだのだけれど、
朝にはあまりふさわしくない官能美の世界が広がっていて「わーお」と思ってしまった記憶がある。
その後1、2年くらい前、休日(だったかな)のお昼に12チャンネルで
山口百恵&三浦友和の映画「春琴抄」を放映していた。
なんというか私はその世代に生きていないので、山口百恵さんという人が昭和のビッグスターで
2人はゴールデンコンビでビッグカップルだったということは知っているのだけれど、
メディアを通した彼女のイメージがどんなものだったのか、いまいちわからない。
ただ、彼女の「蒼い時」という自伝を読んだことがあり、とてもしっかりとした貫禄のある文章で、
さわやかで芯の通った古風で素敵な女性だという印象があった。
三浦友和さんも2枚目の今で言うイケメンさんだから、2人の「春琴抄」は原作に比べてさわやかな感じがして、
あの作品に流れている妖しさが少し足りない気がした。

そんなことすっかり忘れていたら、ロンドンで再び出くわした。
time-outを覗くとバービカンシアターでshun-kinという舞台をやっているとのこと。
イギリス人のサイモン・マクバーニーという演出家が、谷崎の「春琴抄」と「陰翳礼讃」という随筆をもとに
作った作品らしいのだ。イギリス人の演出家が谷崎の官能世界をどう描くのか興味があった。
しかし翌日が公演最終日とのことで、無理かなぁと半ばあきらめの気持ちで翌日バービカンセンターを訪ねる。
あいにく予約は午前午後の部ともにいっぱい。キャンセルチケットを待つしかない。
深津絵里さんも出演しているし、どうしても観たい!!
あきらめられず再度チケットセンターを訪ね、運よくチケットをゲットすることができた。

驚いたのは、外国の方が演出したとは思えないほど日本的な世界が広がっていたことだ。
もちろん全編日本語だし、谷崎の格調高い文体そのままのナレーションで物語が進行する。
日本人の観客もさすがに多く「ここはほんとにロンドン?」と思ったくらいだ。
谷崎の文体と、歌舞伎や琴などを含んだ古典的な演出(音楽)、妖しい雰囲気が見事にマッチして
原作の世界観がすばらしく日本的に表現されていたように思う。

ただ、やはりこれは外国の人ではわからない価値観なのだろうか。
春琴と佐助の関係性をわかりやすいSMの関係にあてはめて、現代を生きる私たち(特に西欧の方々)にも
すんなり理解できる次元に落とし込んで話が作ってあるような気がした。
私は原作を読んだとき、SM的だけど、SMって言っちゃったら身も蓋もないよなぁと思いつつ、
なんかそう言っちゃいけないんじゃないか。もっと次元の高い高尚な話として理解しなきゃいけないんじゃないか
と思い込んでいただけに、あっさり「SM」って言葉が出てきてしかもそれで笑いがおきているあたりが
「いいの?笑っていいの?!」と戸惑ってしまった。
でもまぁそういうもんか、とも思うし、どんなに格調高い文体のナレーションがあっても、
とても簡単明快な英語で字幕が流れ、それを見て外国の方たちはストーリーを理解するのだから
単純な話の表面だけ追えばSMの話ってことになるのだと思う。
SMじゃなくて何なんだと言われると私もうまく説明できないのだけれど。。
外国の人に限らず、たとえばこれがセンター試験か何かの問題として出て(ありえないと思うけど)
受験生に「これってSMの話じゃん?超Mじゃないこの人?(笑)」
とかって言われたら、「うーん。。そうだねぇ。。でもSMとか高校生が言っちゃだめね」くらいしか言えない。

この舞台はあくまで、谷崎の文体、表現、世界観を理解できる日本人(日本人じゃなくてもいいけど)
が観ることで完全な読解が成立し得るのかなと思ったりした。
崇高な愛のかたちなのか、佐助(谷崎)の性的趣向の問題なのか、SMプレイなのか。それ以外の表現か。
演出家のとらえ方も含め全部の選択肢を検討できるのは、日本人(日本の文化で暮らした人)なのではないかと。
とすればこの舞台はとても日本人向きな舞台だ。

それにしてもこの世界観を外国人が作り出したなんてすごい。
演出家の人は日本語ぺらぺらなのだろうか。単純な疑問。

ひとつ面白かったのは、表現が格調高すぎてナレーションだけでは一瞬何を言っているか理解できないとき、
英語の超シンプルな字幕を観て「あーそういうことね」と納得したこと。
こういう使い方もあるな、とロンドンで観れたことに感謝した。(自分の日本語レベルに悲しくなったけど。。)

自分の読解力と日本語力を問い正してしまうような経験でした。
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エネルギー

2009/02/25 12:14
昨年の秋、NYへひとり旅に出かけたとき、本場のブロードウェイミュージカルを味わいたくて、
tktsの長蛇の列に並び、CHICAGOを観に行った。
それからミュージカル(というよりシカゴ)のファンになった私は、ロンドンでシカゴを2回も観てしまった。
観た後は音楽とダンスの素晴らしさに「とにかくすごいんだよ!!絶対見て!!」と周りに興奮気味に話すのがおきまりだ。
初めてミュージカルを観たのは昨年の夏頃だったか、劇団四季のCATSが初体験だった。
その時も興奮して、勧めてくれた人に一生懸命「よかったです!!」と伝えた気がする。
やっぱり、すごいものを見ると人間、誰かにその感動を分けたくなるんだな。
今日短期で旅行に来ていた女の子が
「昨日ミュージカル観たんですよー。もうほんっっとに良くて。オススメです。
ビリーエリオットです!もう私この話3時間くらいできますよ!!」と興奮気味に話してくれた。
私も聞いていてウキウキしてしまう。
感動を分けたいというより、誰かに話さなきゃ自分の気持ちがおさまらないのかもしれない。
私だって散々人に話した上、こうやってブログにまで書く始末だ。
それくらい、外にあふれ出てしまうくらいの感情を、心の中に湧きあがらせてくれるものなのだ。

高校生に受験国語を教えていた時、
オリンピックやサッカーを見るとき私たちは「見て」楽しんでいるわけではなくて、自分たちも身体で追体験しているのだというような身体論の評論を読んだことがある。
シカゴを一緒に見に行った友人も話していた。
「ダンス全然できないけど、なんか踊りたくなるよね。」
まったくの運動オンチで私の身体能力では絶対にあんなダンスをするのは不可能だけど、
そんな私ですら、体がうずうずして、踊りたいな踊れるんじゃないかなと無謀にも思ってしまう。

ミュージカルにはエネルギーが集まっている。
役者さんたちが身体のすべてを使って、観客の身体に語りかける。というより迫ってくる。
小さな劇場の中は(私が観たミュージカルは4回とも小さかった)
舞台に立っている人たちと、刺激された観客席のエネルギーがあわさって吹きだまっている。
きっとひとりひとりの心の中でもそうだ。
だから外に出したくなるのだ。エネルギーがあふれてしまうのだ。
エネルギーは伝染する。舞台から客席へ、客席から家族や友人へ。いやその前後にもたくさん。
特に感動するシーンでもないのに観ていてうるっときてしまうことがあるのは、
そのエネルギーの源泉を作っている人たち(裏で支えているたくさんの人たちと、舞台で演じている役者さんたち)の仕事を想像するからかもしれない。
きっと彼らも小さい頃に観たミュージカルや、人前で初めて歌ったり踊ったりした時の感動が忘れられなくて、
この仕事を選んでいたりするのだろう。
こうやってエネルギーがいろんなところで受け渡されて、私のもとに届いたのだ。

愛情もエネルギーのひとつだ。
日々誰かから誰かへ受け渡されながら、私のもとにも届いている。

高校生の時、思春期の悩みの渦中にいた私は(今もそうかもしれないけれど)
明るいエネルギーを生産できない人間なのではないかと悩んだことがある。
明るいエネルギーというのは、人に優しくすることや、大切に思うこと、笑顔をふりまくこと、前向きさ、などなど。
自分の内側からはどうしても負のエネルギーしか生産されない気がして、
人を慈しんだりする心が欠けているのではないかと思っていた。
今でも人間関係で悩んだ時や、人に冷たくされたとき、
そんな状態の自分からプラスのエネルギーは1ミリも生産できない。と思い込んでいた。

先日お友達のカラーセラピストさんのもとでオーラソーマを体験してみる機会があった。
イギリスに出発する前に、一度試してみたくってちょっと彼女がいるお店を訪ねてみた。
するとそこで意外な指摘があった。
私が選んだボトルの中に、マゼンタという色が2本入っていて
「この色は神聖な愛という意味を持っていて、日常のちょっとしたことに愛を注げる人なんだよ」
とのこと。
確かに私はビビットピンクのような色(これがマゼンタ?)が好きで、身の回りの小物類はそういう色で
あふれている。ついつい手が出てしまう色。
それに影響を受けて、ついついマゼンタを選んだしまったのかもしれないが、
私は全く逆だと思っていただけに驚いた。ほんとかなぁと思ったけど、少し嬉しかった。

私自身、自分の中からエネルギーを生産している自覚も自信も全くない。
だけれども、受け取っている自覚はある。
日常の些細なことから感じ取れているかどうかは自信がないけれど、
いろんなことに感動したり、刺激を受けたりしている。特別大きなことじゃなくても
こっそり私の気付かないうちに心が受け取っていることもあると思う。

私はそうやって受け取ったエネルギーをどんなふうに表現できるだろう。
どんなふうに外側に放てるだろう。
そうやって考えて少しずつもらったものを還元していけば、私の生産できないコンプレックスも薄まっていくかも。
私の中で絶やしてしまわずに、私というフィルターを通して誰かに渡さなければ。
それが仕事になって、私の仕事で誰かが感動してくれたら、それはすごくすごく幸せなことだ。
遠い理想ではあるけれど、ずっと持っていたい理想。







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旅の目的

2009/02/24 14:22
現在ロンドンに居る私。

2月のあたまから念願のロンドン滞在を敢行している。
日本人の駐在員のご家族が多い街で、私は日本人の女の子たちとフラットシェアして暮らしている。
旅行者の人が多いから、入れ替わり立ち替わりいろんな人が暮らしているのだけれど、
昨晩話した女性がこんなことを言っていた。
「私はね、人生は経験と感動だと思ってるの。」
どういう文脈でこういう話になったのか、よく覚えていないのだけれど、この言葉がとても響いた。
彼女は通訳や翻訳の仕事をしている女性で、新婚旅行でヨーロッパを訪問した最後にロンドンを訪ねたという。
大学時代に留学生としてこちらで暮らしたそうで、思い出の場所のようだった。

「ヴィクトリア&アルバートを最初に訪ねたとき、圧倒されてこの国の虜になったのを思い出しちゃった」
ロンドンの美術館や博物館はほとんど無料で公開されている。
文化・芸術に対する国のスタンスが日本とは違うという話をしていた。
「こんなに素晴らしいものを、無料で見せるなんて、何て国なんだと思った!」
確かにヴィクトリア&アルバートに行ったとき、私もその膨大な数と迫力に圧倒されてしまった。
国宝級のものがわんさかあって、しかも展示されているものはすべてのコレクションの一部にすぎないなんて、
本当に信じられない。
彼女は初めて来たロンドンで、イギリスという国の懐の深さにズドンと衝撃を受けた。
そしてそのことを今起きたことのようにいきいきと語っていた。


例えば私だって素晴らしい景色を見たり、おいしいものを食べたり、心に響く映画を見たり、人の優しさに触れたり、
日常の中でいろんな経験をして、たまに泣けるくらい感動したりする。
でもそれが自分の人生や価値観を変えてしまうような圧倒的なものとして迫ってくる経験を私はまだしたことがない。

もうひとり、ロンドンに暮らして長い女性がこんなことを言っていた。
「こっちに来なかったら、他の人生もあったのかもしれないなと思ったりすることもあるけど、
振り返ってみると、やっぱり私はここに来て良かったって確信できるな。」

すごくかっこいいセリフだと思った。
彼女は今の私と同じ24歳の時、日本にいた婚約者と安定した生活を捨てて
単身渡英し1年間ボランティア留学。イギリスの魅力にとりつかれてこちらで暮らすことを決め、そのために
奨学金をもらって大学に進学した。卒業後、ワークパーミットを得て永住権も獲得している。
その行動力がまずすごい。日本からイギリスに移住することも、こっちの大学を卒業することも、
文章では簡単に書けるけれど簡単なことではない。
さらに素晴らしいのは、そういう風に選んだ自分の人生を最終的に肯定できているということ。

ふたりとも、つらい体験や苦労は詳しく話さないだけで、たくさんあるはずなのだ。
でもそういうことがあっても、がんばって乗り切ってその道を歩もうと思えるような
「まさにこれだ!」という衝撃や確信を持っているのだ。
もちろん彼女たちが頑張ったのはそれだけじゃなくて、それぞれの真面目な努力があってのことだ。

きっかけになる「衝撃」とこれでよかったんだという「確信」
私は二人の話を聞きながら、自分はどうすればこの2つを得られるだろうと考えていた。
それさえあれば私だってと思うわけじゃない。
きっと続けていく中でいつまでも新鮮なモチベーションを届けてくれるわけでもないだろう。
だけど、どの道もなんとなくありそうだけど、どの道も決定打でない私にとって、ふたりの話はとても羨ましかった。
そして自分もそうなりたいと思った。

なんとなくじゃなくて、体裁じゃなくて心から放つ言葉はとても説得力がある。偽りがないからだ。
だからふたりの言葉がとても響いた。
私は人に偽ることはよくある。でも自分の心をなかなかだませない。
だから自分の発する言葉と心に食い違いのないふたりがすごいと思う。
前向きなこと、感動したこと、言葉だけならいくらでも言える。
そういう話をするほうが人間は喜ぶ。明るいこと前向きなことを話せば人は寄ってくる。
でも自分の心の奥底までそういう気持ちにできるか、染められるか、というと無理なのだ。
本当に思っていないことを、他の人には言えても自分の心には言えない。

これだ。このために生きていけばいいんだ。
私は大丈夫だ。生きていける。

そういう確証がどこかに落っこちているかもしれない。
甘えてると言われないように、自分でつかみに行く準備をしておかなくちゃいけない。
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